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help リーダーに追加 RSS 昭和天皇の思い出

<<   作成日時 : 2008/11/18 21:40   >>

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昭和天皇が腹部の手術をしているとき、フジテレビのニュースでは、「昭和天皇におかれましては、現在しゅじゅちゅ中です。」と言って、福井謙二アナウンサーの目が点になっていた。テレビ朝日のタモリ倶楽部では、エンディングテーマのお尻の画像のテロップに、「天皇陛下の現在の容体。下血何cc、吐血何cc」と出ていた。井上陽水の日産の「お元気ですか?」というCMも口パクになり、笑っていいとものオープニングテーマも歌わなくなった。

1月7日早朝6:30NHKのニュースで「ピンポンピンポン」と音が鳴り、崩御を知らせる。フジテレビでは、露木茂アナウンサーがおこなう。午後、次の年号が小渕官房長官によって発表される。『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」、『書経』大禹謨(偽書)の「地平天成(地平かに天成る)」から、平和を願って「平成」と付けられた。あれから、20年。当時は竹下内閣で、消費税3%導入に対する民衆の不満が充満していた。

1901年(明治34年)4月29日 生まれ。

(以下ウィキペディアより引用)
1934年11月16日、昭和天皇臨席のもと陸軍大演習が群馬県の高崎練兵場で行われた。観兵式に出席した後、昭和天皇一行が群馬県桐生市を視察することになっていた。予定された視察順序は「桐生駅 - 桐生西小 - 桐生高工」となっていた。地元住民は天皇一行を迎えるために1年前から予行演習を重ねており、出迎える際はひざまづくようにと指示されていた。昭和天皇を歓迎するための群衆で賑わう沿道の光景から、非日常の世界が広がっていたため幻惑され、予定で曲がるはずだった交差点では、先導者の運転手をはじめ、本多警部ももう1人の警部も、直進して当然だと思ったという。

2日後、昭和天皇一行を乗せたお召し列車が前橋駅を出発する時刻が迫った時、本多は部下や家人を見送りに行けと命じ、その間に、列車が駅を出発した汽笛と共に日本刀で喉を突いて自決を図った。しかし、日本刀を素手で持っていたため、指が切れて突く力が弱くなり、一命を取り止めた。自決を図ったことについては、当時は「よくぞ責任を取ってくれた」と賞賛する声が挙がったという。

本多は一命を取り止めたものの後遺症は重大で、舌の筋肉が切断されたため、会話に支障が出る状態になった上に、食道と気道が癒着してしまい、食事をするのも難しい状態になった。彼は全国からの賞賛の声に励まされ、「もう1度天皇陛下のために生きる」決心をしたという。

事件後、岡田啓介首相と後藤文夫内相が天皇にお詫びしたところ、天皇は別段の咎めもなく許したが、当時野党の立場にあった政友会は、議会でこれを取り上げて後藤内相を攻撃した。これについて岡田は、翌年の議会で取り上げられた国体明徴論と合わせて、政党人の自己否定につながる行為であったと批判している。



野党とマスコミが癌ですな。

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大室☆寅之助。
2008/11/20 19:11

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