(以下産経ニュース2008.9.6 07:55より引用)「国家という共同幻想を維持するためには国家としての誇りが必要です。その点、小泉さんはうまく立ち回ったと思います」 (以下福田内閣メールマガジン 2008年9月4日配信) 「1万年前の人類は、今と全く同じ太陽を見ています。海辺へ打ち寄せる波 は一つとして古いものはなく、常に新しい波です。千数百年前の日本人と今 の日本人は、今も昔も変わることのない、常に新しい伊勢神宮を見ています。 太陽と海と伊勢神宮、この三つは、宇宙、自然、人が創ったもの、この違 いはありますが、永遠の今です。 私は、政策を立案する際、この「永遠の今」を想うことがありました。 (中略)政策が決して古くならないよう、いつも新しくあるよう、手入れを怠ってはならない。 今はただ、読者の皆さんへの感謝の気持ちでいっぱいです。1年間のご愛 読、本当にありがとうございました。(福田康夫)」 わかる人は30秒でわかるけど、わからない人には40分かけて説明してもわからない。 注:伊勢神宮は20年おきに修復のため、すべて取り壊し再構築している。中国の文化を取り入れた「掘立建物(ほったてたてもの)」だが、湿度の多い日本の風土に合わず、20年おきに社(やしろ)を立て替えている。 社会の社は、社(やしろ)の社。 連綿と続く社会。 100年前も、同じ言葉を話し、1200年前も、似たような言葉を話し、1万年前も大和言葉に似た言葉を話したとする日本の民。私たちの基本は、シベリアから、ナウマンゾウを追ってきた狩猟民の子孫。アルタイ語族。ら行で始める言葉を避ける。原則としてSOV型(主語 - 目的語 - 述語)の語順をとる。 アルタイ諸語 ツングース諸語(満州語など) モンゴル諸語(モンゴル語、ブリヤート語など) テュルク諸語(トルコ語、ウズベク語、カザフ語など) 支配する民族は、現地の言葉を学ぶという。 インドでも、フィリピンでも、英語は正式な公用語ではあっても、日常語ではない。 日本でも、朝鮮でも、公文書は漢文で書かれていても、言葉は現地語だった。 日本の初代の天皇(神話ではなく、人間として存在が認めれられるとする)・崇神(すじん)は中国人のような格好をしている。 崇神天皇(画像:ウィキペディアより引用) 近年、卑弥呼(175年頃? - 248年頃)と同一人物として推定される候補の中では最有力の説となってきているのは、倭迹迹日百襲媛命(やまと・ととひ・ももそ・ひめのみこと)。『日本書紀』の倭迹迹日百襲姫命または倭迹迹姫命、『古事記』の夜麻登登母母曾毘賣命。卑弥呼と南方の男王・卑弥弓呼(ひみここ)は「素より和せず」戦闘状態にあったが、この戦いの最中に卑弥呼が死去。卑弥弓呼が大和朝廷を統一する。 また、崇神天皇は卑弥呼の南に位置する国の王で戦争状態にあった狗奴国の男王・卑弥弓呼(ひみここ、ひみきゅうこ)ともいわれている。卑弥弓呼は、一般的には「ひみここ」「ひみきゅうこ」と呼ばれるが、「ひこみこ(彦御子)」の誤りとする説もある。 崇神天皇は、「御肇國天皇(はつくに・しらす・すめらみこと)」 『日本書紀』 、所知初國御眞木天皇(はつくに・しらしし・すめらみこと) 『古事記』とのちの古文書に記されている。また、崇神天皇以前にも、「はつくに・しらす・すめらみこと」がいたとも記されている。その名は、神武天皇。神話の時代の初代天皇である。 また、『日本書紀』には、「倭迹迹日百襲媛命は、崇神天皇に神意を伝える巫女の役割を果たした」として記載されている。←(rinax注:民に和解を呼び掛けている?) (以下ウィキペディアより引用) 崇神天皇略歴 「魏書」東夷伝によると、 ・男子はみな顔や体に入墨を施している。人々は朱や丹を体に塗っている。 ・男子は冠をつけず、髪を結って髷をつくっている。女子はざんばら髪。 ・着物は幅広い布を結び合わせているだけである。 ・兵器は矛、盾、木弓を用いる。 ・土地は温暖で、冬夏も生野菜を食べている。 ・人が死ぬと10日あまり哭泣して、もがり(喪)につき肉を食さない。他の人々は飲酒して歌舞する。埋葬が終わると水に入って体を清める。 ・倭の者が船で海を渡る際、持衰が選ばれる。持衰は人と接さず、虱を取らず、服は汚れ放題、肉は食べずに船の帰りを待つ。船が無事に帰ってくれば褒美が与えられる。船に災難があれば殺される。 ・特別なことをする時は骨を焼き、割れ目を見て吉凶を占う。 ・長命で、百歳や九十、八十歳の者もいる。 ・女は慎み深く嫉妬しない。 ・盗みはなく、訴訟も少ない。 ・法を犯した場合、軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにする。 ・宗族には尊卑の序列があり、上のもののいいつけはよく守られる。 古くは『日本書紀』の編者により邪馬台国と大和朝廷、卑弥呼と神功皇后は同一であるとされ、南北朝時代の北畠親房らも同様の主張をしてきた。江戸時代までは、そう信じられてきた。明治になって、考えが変わる。 (以下ウィキペディアより引用) 中国の史書に残るほどの人物であれば日本でも特別の存在として記憶に残っているはずであり、日本の史書でこれに匹敵する人物は天照大神(アマテラスオオカミ)しかないとする説。白鳥庫吉、和辻哲郎らに始まる。 アマテラスの別名は「大日孁貴」(オオヒルメノムチ)であり、「日の女」となる。意味は太陽に仕える巫女のことであり、卑弥呼(陽巫女)と符合するとする。 卑弥呼の没したとされる近辺に、247年3月24日と248年9月5日の2回、北部九州で皆既日食がおきた可能性があることが天文学上の計算より明らかになっており(大和でも日食は観測されたが北九州ほどはっきりとは見られなかったとされる)、記紀神話に見る天岩戸にアマテラスが隠れたという記事(岩戸隠れ)に相当するのではないかという見解もある。 卑弥呼の死後、男王が立つが倭国は混乱し、1000人の人が死ぬ。このため、13歳の壹與(ゐよ、臺與、とよ)が女王として立てられ、倭国の混乱は収束する。「壹與」は中国風の名「(倭)與」を名乗った最初の倭王であるという説もある。 この壹與は、ヨロヅハタトヨアキツシヒメ(万幡豊秋津師比売)に比定できるとする。つまり卑弥呼の死後、男子の王(息子か?)が即位したが治まらず、その妃が中継ぎとして即位したと考えられる。これは後の大和政権で女性が即位する時と同じ状況である。 ちなみにヨロヅハタトヨアキツシヒメは伊勢神宮の内宮の三神の一人であり(もう一人はアマテラス)、単なる息子の妃では考えられない程の高位の神である。 卑弥呼がアマテラスだとすれば、邪馬台国は「天」(日本書紀)または「高天原」(古事記)ということになり、九州にあった邪馬台国が後に畿内へ移動して大和朝廷になったとする(邪馬台国東遷説)。それを伝えたのが『記紀』の神武東征であるとしている説もある(安本美典:心理学者、日本史研究家(古代史))。 朝倉地方を中心とした北九州地方の地名と大和地方を中心とした畿内の地名に驚くほどの酷似があり、発音がほとんど一致しているだけでなく相対的な位置関係もほとんど同じである。これはアメリカなどイギリスからの移民が行なわれた国々にイギリスと同じ地名があるのと同じで、この地にあった勢力が畿内に移る時に地名も一緒に移ったものと考えられる。これは後述の邪馬台国東遷説につながる考えであるが、この考え方も安本の独創ではなく鏡味完二が指摘しているものであり、また折口信夫も日本の地名に同じものが多いのは偶然ではなく民団の移動とともに地名も持ち運ばれたからであるとする説を述べているとしている。 朝倉地方には「甘木」をはじめとして「天」に関係する地名が多く見られる、安川(夜須川)がある、香山(かぐやま)がある、岩屋・岩戸があるなど日本神話に現れる地名が集中的に残っている。 えええええっ、これは何かのメッセージ? 豊葦原瑞穂国。 なぜ、今まで気がつかなかったの? 口に出して言っていた人はいるけど、京都大学と東京大学の権威主義に阻まれて、「根拠のない学問」を信じているしかなかったのだろうか? |
| << 前記事(2008/09/04) | トップへ | 後記事(2008/09/07)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2008/09/04) | トップへ | 後記事(2008/09/07)>> |